ミャンマー渡航記 その3 -ヤンゴンの鉄道-

2016年9月26日
ヤンゴンのホテルが割と環状線の駅から近かったこともあって、ミャンマー2日目は朝から少し鉄道を撮ってました。
ミャンマーの鉄道は基本撮影禁止で撮影には許可証が必要、とよく言われていますが、最近では許可証は必要ないかもとの情報もあったので、とりあえず許可証を申請せずに行ってみて、ダメだったらバスだけ撮るかみたいなテキトー極まりない考えで現地に向かいました。

ホテル近くの駅の駅員さんに”電車の写真撮っていい?”と聞くとすんなり”いいよ”と言われたので最近はそんなもんなんかなぁと思いながら撮影開始。(TPOによってはすんなり撮影許可が出ない可能性もありますのでご注意を)


数年ぶりに見たこのカラー。久留里線から来たキハ38は5連を組んで環状線で運用されていました。
側面と反対側の前面はフルラッピングされているので、久留里線時代のカラーを拝めるのはこっちの前面だけ。
片開き2ドアのキハ40/48だらけなヤンゴン環状線RBEの中で両開き3ドアのキハ38は変わり種。通勤型気動車としての性能を遺憾なく発揮してるのかなーと思いきや、この列車はあまり人が乗っておらず…残念。

久留里線時代のキハ38。久留里線時代は最長4連でキハ30やキハ37と組むことも多かったのでキハ38の単独長編成…というのはヤンゴンへ来て初めて日常になったと言えるでしょう。

尾灯を点けていますがこちらに向かって走ってきています。ヤンゴンではだいたいどれも常に尾灯を点けながら走っていました。
キハ11は現在も投入が続けられている最新車で、元美濃太田車、元伊勢車関係なく混用されているようです。
どう見てもワンマンじゃない(多分3人くらい乗ってる)のにワンマン灯が点灯してるのが面白い。

美濃太田時代のキハ11。伊勢の方はステンレスと組んで使用されることが多かったので、鋼製の長編成というと太多線のイメージです。しかしここも確か最長4連だったので日本時代より長い編成で走っていることになります。

東海からは一緒にキハ40も渡っています。こちらも現在も投入が続けられている最新車。まだまだこれからも増えるでしょう。
元美濃太田車と元伊勢車が渡っています。

キハ47込みの長編成というと高山本線のイメージです。東海のキハ47にはスカートの角が丸い最初期型が居たのですが、結局東海時代に先頭に立ってる姿を撮ることはできませんでした。
いずれヤンゴンで撮れる日は来ましょうか…

気動車標準色に塗り替えられた車両もヤンゴンで活躍しています。
向こうでもスペシャルなカラーという認識なのか編成の先頭に立っていました。

東北地域色のキハ48/40。石巻線のキハ110化で小牛田と郡山の車両がミャンマーに飛んでいます。

石巻線時代のキハ48。上写真の前2両と車番が一致していました。
ミャンマーに飛んだ東のキハ40はほとんどが只見線用車でしたが、石巻線用に貫通路を広げて2両1ユニットとしたワンマン車もミャンマーに渡りました。

ヤンゴン環状線はだいたい30分1本ペースで運転されているようです(時刻表を見たわけではありませんがだいたいそんな感じ)。
日本の気動車のRBEの他に機関車牽引の客車列車もまだまだ走っていました。
RBE使用列車は全体の半分と言ったところで、時間帯によって偏りもありました。
日本からの輸入車の増加によってRBE使用列車もどんどん増えているようなので、これから一層にぎやかになりそうです。

つづく




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