[名古屋鉄道]モ510 揖斐・谷汲線 公開


最近合宿形式で複数人でPIを作るイベントを何度かやっているのですが、その第二弾(第一弾は…)として”一日で何か作ってみよう”という企画をやってました。
このモ510は先週末に2人で仕上げたものです。
台枠から上をSATOさん、下を僕が製作し、構文と最終調整を僕が行いました。
完全分業制でRS上に置くまではほとんど双方調整してこなかったのですが、結構よく纏まっているんじゃないかと思います。

[このプラグインの説明]
名鉄600Vの岐阜市内線→揖斐線への直通急行用として活躍したモ510の80年代以降の姿をモデル化しました。
軌道線と鉄道線で変わる可動ステップは、スイッチで切り替えが可能です。

スイッチでは、各種行先・急行板の他
・車体塗装は晩年の急行色と80年代のスカーレット塗装を再現できます。
・スカーレット塗装では、側面窓枠を3種類から選択できます。
・車体側面の広告を6+1種類から選択できます。

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[JR西日本]201系 大和路線仕様 公開

[このプラグインの説明]
大和路線の普通列車を中心に活躍している201系体質改善車です。
おおさか東線開業後の30N体質改善車をモデルにしています。

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日立電鉄モハ11の廃車体

2017年5月確認
もうとっくに無くなっているものと思っていましたが、残っていました。

日立電鉄は2005年まで茨城県を走っていた私鉄路線。末期は営団2000形を改造した車両によって運行されていましたが、この廃車体の車両は2000形によって置き換えられる前の車両。
1948年の新製当初から日立電鉄線で活躍していた車両ですが、ルーツは営団にあると言われています。

原設計は営団地下鉄銀座線(浅草-新橋間)の前身である東京地下鉄道が戦前に登場させた形式である1200形。その増備車の車体が2両分日立製作所に発注されたのですが、戦時中それも戦況が悪化しつつあるタイミングだったからかこの増備車計画はお流れになり、宙に浮いた車体はそのままの状態で終戦を迎えました。
その後の戦後復興期でどこも車両不足に陥り、日立電鉄も延伸開業で車両が足りなくなって困っていたところで親会社の日立製作所がデッドストックの車体を電装して納入した…と言われています。

どこまで本当か分からない話ですが、この車両以外にも日立電鉄の車両不足を日立製作所の融通によって救ったという話は色々残っていますので、中らずとも遠からずなのでしょう。

物置と化してる今の状態を見ても、ホントにコレが営団?と疑問に思うほど精悍さに欠けるヘンテコなスタイルですが、これは現役50年の間に幾度も修繕が行われたことによるもので、前面窓がHゴム化された70年代以前の写真を見るとなるほど確かに銀座線かもと納得できるスタイルをしています。

そんなモハ11も銀座線01系投入によって同線を追われた2000形の導入によって90年代半ばには日立電鉄線から姿を消すことになります。銀座線の注文流れと言われている車両を置き換えたのもまた銀座線から来た車両…という興味深い置き換えになりました。
01系による2000形の置換から遡ること数年、01系の初期投入車によってモハ11のモデル車である1200形は姿を消していますので、直接的間接的の差はあれど、モハ11と営団1200形がどちらも01系によって姿を消したことに不思議な縁を感じてしまいます。

こうしてモハ11は営業線上から消えましたが、当時の日立電鉄(或いはその廃車車両の処分を請け負う解体業者)が車体を倉庫として多数売り払っていたようで、このモハ11に限らず日立電鉄の廃車体が茨城県内に点在しています。


なんとも言い表せないお顔。登場時はウィンドウヘッダーだけでなくウィンドウシルもあり、窓も枠が付いていて貫通扉もあったので彫りの深いところを徹底的に”削ぎ落とされた”印象。

反対側側面。側面もやはりほぼ更新されて登場時の面影は薄れていますが、戦後すぐの地方私鉄車両にしては随分垢抜けている印象を受けます。(そもそもその時期に新車を入れられた地方私鉄がどれだけあるのかという話ですが)

ちゃんとした保存車ではないですが、こうして戦中戦後の混乱を物語る車両をこの目で見れたのは幸運と言えるでしょう。

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【作業日報】7/11


奈良の103ができるようになったので、合わせて201も。
体質改善後の201系はかなり形態が整っており、また奈良は編成も6連だけで組み換えがないのでかなり単純な構成になっています。(103比)

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File:055-56 奈川村営バス U-LR232J

2017年5月確認
元居たところから随分離れたところで仲良く並ぶ2台のジャーニーK

行くまではもしかしたら現役の個体かも…と思っていましたが、しっかり廃バスしてました。
しかし随分と新しい個体。
U-は廃バスの中では最新と言ってもいいくらいの世代。このバスの周辺でもまだ現役個体はたくさん居ることでしょう。
廃バスの中ではかなり状態はいい方かと思われますが、それでも置かれてから数年は経ってるかなという様子。
年式と状態を見るに結構早世したんでしょうね。同じ仕様の車両が2台並んでるあたり、老朽というよりは路線廃止とかで廃車になったのかなぁと推測。

都合よく?方向幕を残したまま置いてあったので、見てみると「奈川渡ダム」と「木曽路原」。
奈川渡ダムというと現在の松本市、新島々から上高地へ向かう途中にあるダムで、現在ではアルピコ交通と松本市営バス(コミュニティバス的な)が乗り入れているようです。
木曽路原は奈川渡ダムから上高地へ行かず南に逸れて数キロ行ったところです。現在では木曽路原というバス停はないようですが、野麦峠スキー場のあたりでしょうか。現在ここも松本市営バスが乗り入れています。
というワケで、どうやら現在の松本市営バスの奈川方面の路線に使用されていたようです。更にこの路線、現在では松本市営バスの路線ですが、2005年に奈川村が合併によって松本市になるまでは奈川村営バスという事業者だったことが分かりました。
これで車体に記されている”NAGAWA”の文字とも辻褄が合います。
現代の”村営バス”にはちょっと似つかわしくない大型の車体(中型車ですけど)ですが、元々が松本電鉄の路線代替バスであること、集落と最寄駅を結ぶ唯一の公共交通機関であることを考えると妥当なのかもしれません。
しかしその大型車体が仇となってか、どうも松本市に路線と一緒には引き継がれず合併のタイミングで廃車になったようですね。
終始地味でほとんど山の中に引きこもっていたからなのか、ネット上に現役時代の写真がほぼない不遇なバスですが、検索掛けたら一枚だけ出てきました。

もう一台のバス。おそらく仕様は同一のハズ。そういえば屋根上にはベンチレーターしかありませんね。車内には冷房吹き出し口の代わりに荷物棚が見えます。
このバスが新車だった頃、北アルプスの周辺は夏でも涼しいということで松電や濃飛バスにも非冷房車が相当数が居たと思いますが、さすがに21世紀になるとそういうわけにもいかずに最近ではほとんど姿を消してしまったように思います。
この車両たちが松本市に引き継がれなかったのはそういう要因もあったのかもしれません。

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