あの頃

RS2C Wikiというサイト(今もあります)に”あの頃“というRailSimの礎を築いた方々の歴史を振り返るページがあります。
自分がRailSimプラグインを作り始めた頃、そのページを見ながら”こんな記事が書けるようになるまで自分はRailSimを続けているだろうか…”なんて思ったりしていましたが、
気付いたらその頃から干支が一回りしていました。

自分がRailSimを始めた頃のブログ記事は消えてしまったのですが、アップロードした画像はなんとかサーバーに残っていました。
恥ずかしい点も多々ありますが、当時の画像も混ぜながらあの頃を振り返ってみたいと思います。

RailSim PIを作り始めた理由

もともと模型(Nゲージ)をやっていた私は、2011年当時GMの東急9000系や8500系を組んでいました。
この頃の東急の電車は編成ごとに差異が結構あり、バリエーションを揃えたいと思うのが模型鉄の性です。
しかしながら模型でそれをやるのは金銭的にも製品ラインナップ的にもかなり厳しい。
それならばRailSimで作ったら解決するのでは?と思ったのがきっかけでした。

2011年

車両PIを作り始める

東急PIが欲しい!というモチベーションで始めたので、最初の頃は東急の車両ばかり作っていました。
1作目は8500系で、途中で何度か壁にぶつかりながらだいたい1週間くらいで完成させてたと記憶しています。
使用していたソフトはMetasequoiaとPhotoshopCS5で作っていました。今とほとんど変わりません。
メタセコに関しては完全に初心だったのですが、使い方を解説したページを片っ端から読み込んで、理解したような理解してないような状態でなんとか作りました。

当時の製作途中SSです。基本的な製作の流れは最初からあんまり変わってなくて、
1.先頭車を組む
2.運転台を撤去して中間車にする。
3.バリエーション展開する。(8500の場合は非軽量車とか伊豆夏とか)
という流れで製作していたみたいです。

フレアが眩しい!造形は甘いながらも8500系の各編成の特徴を作り分けていたので、結構楽しいPIになってたんじゃないかなと思います。

この頃のラインナップ。これ全部作るのに1ヶ月だったようです。
テクスチャもほとんど描き込みなしで、床下機器とか細かいところを全く気にせず作っていたのでこの頃は製作ペースが爆速でした。


東急の次は国鉄気動車シリーズへ。このあたりも所持していたNゲージをそのままPI化したという感じでポリゴンの比重が大きかったので依然製作ペースは早かったですね。
個々の出来はかなり甘いのですが、キハ20から38まで一通り形式が揃っていたので並べると楽しいですね。


2011年、初めてのRailSimの日は5000系+2000系列+1900系で迎えていました。
マイクロエースの模型から作った5000系はともかくとして、2000系列や1900系は当時の自分にはなかなか難しい形状だったようであまり似せることができていません。

2011年末~2012年初ころの作品たち。東海顔に挑戦してみましたが、全く納得いかずお蔵入り。
EF65は結構頑張っていましたが、星の数ほどある仕様の落としどころに悩んでこれもお蔵入り。
東武8000系だけは出せましたね。

2012年

テクスチャ表現を取り入れだす

この頃までは基本すべてポリゴンで表現し、テクスチャは色を付けたりするくらい…という作風でした。
これをRailSim上で表示すると、影を付けた時はそこそこに見えるのですが、影を外すと途端にダサくなってしまうのですよね。
影を付けると重くなるRailSimでは影を外した状態でプレイされることが多いので、”影を外してもカッコ良く見えるモデル”=”テクスチャがしっかりしているモデル”を目指しました。
また、当時のRailSimでは一両1万ポリゴン超えのプラグインは相当重い部類で、10両も繋ぐと自分のPCでも相当カクついていました。
そこで一旦ポリゴン数をガッツリ削ってテクスチャメインのモデルを試作しました。

これで相当軽くなりました。体感的にはテクスチャ版10両と初期のフルポリ版1両が同じくらいだったと思います。
PC性能が上がった今でも、長編成をたくさん走らせるにはこのくらいの軽さが一番いいと思っています。
この時は窓表現を単調なグラデーションにしていたのですが、これはイマイチ気に入らず、また内装を作っていく作風に戻りました。


高校時代最後の作品はキハ181(初代)でした。
気動車シリーズの続きですが、軽量版東急を間に挟んだこともあってテクスチャの描き込みを結構頑張っています。
それまでほとんど入れていなかった汚しもスカートに僅かに入れてますね。(これは実写をそのまま使ってました。)

ちなみにこの頃の気動車シリーズ。初代キハ47とキハ141です。このあたりの作品は図面や写真と合わせるということをしていなかったので、形状把握が全く上手くいっていません。どちらも一旦お蔵入りになって数年後に新規作成して出しています。

2012年頃、SATOさん宅にRailSim作者たちが集まって交流するオフ会が毎週のように行われており、私も何度か参加させていただきました。
その時にモデルの作り方・テクスチャの作り方を色々な方から教えて貰い、技術のベースが出来上がっていきました。
この103系や117系はSATOさんの家で得たものを取り入れて作ったもので、窓をテクスチャで抜いていたり車体に陰影を描き込んでいたりしています。

2013年

図面や写真を使ってモデルを似せようとしてた頃

この頃の車両たち。初代キハ47やキハ141の反省で写真や図面ベースにモデルを作っていたので、印象把握は良くなってきた頃です。

およそ1年半でリメイクしたキハ35のビフォーアフターです。(2011年9月→2013年5月)
久留里線のキハ30で撮ってきた資料写真を元に、まず形状を似せるようにしました。
次にテクスチャでメリハリを付けて窓の濃さを適正にすることで、質感を向上させようとしていました。

バスを作りだす


この頃からバスPIを作り始めていました。
“Rail”Simなので、バスはあまり重くしないことをコンセプトにして、ローポリのモデルにテクスチャを当てるという、鉄道車両と全く異なった作り方にトライしています。
最初に上のブルーリボンを試作した時には、黒い簡易内装を作っていたのですが、結局これはポリゴン数が嵩んでしまうのと透過の問題がクリアできずでやめました。

バスPIで最初に公開できたのはこの都営のキュービックで、窓は不透明のテクスチャで表現する形に改めています。
基本的な構成はここから10年間変えず、テクスチャの質感向上で進化していきます。
ちなみに、最初の都営バスは側面幕背面幕もちゃんと描いていたのですが、バスの場合は資料が少ない上に手間が3倍掛かるので、
伊予鉄からはぼかしたテクスチャを入れるようにしました。

2014年

更なるテクスチャの質感向上を目指す

ミニエコーやEF64は一つのターニングポイントで、実車取材で得た資料写真や書籍を元に主に床下や屋根上の描き込みに力を入れています。

このあたりは当時としては相当作り込んだモデルで完成度は満足していたのですが…作り込んだが故に時間が相当掛かった記憶があります。
全ての作品をこの勢いで作り込んだら時間も重さも嵩む…ということで、一旦バス並のローポリ志向でテクスチャに全振りしてみたらどうなるのかと試してみたのが関鉄シリーズです。
この頃、長く使われるRailSimPIってどういうものなのかと考えていて、以下の2点を重視することにしました。
・実車の印象をよく捉えていること。(造形と色)
・使いやすいこと。(時代が進んでも軽さは大事)

続くキハ47も同じ思想で作りましたが、やりすぎ気味の関鉄と比べてちょっとだけポリを盛り、テクスチャの質感も向上させています。
このあたりのPIも公開してから長いですが、まだまだSSなどで見かけるので所期の目的は達成していると言えるでしょう。


最初にバス営業所を出したのはこの頃でした。
この頃からちょくちょく建物を作り始めてます。

2015年

安定期

手描きテクスチャが安定してきた頃で、時間もあった頃なので色々と量産してました。
依然として手間は掛かるのですが、時間があったのでなんとかなってました。


年々テクスチャの表現強化と共にポリゴン数を減らしていってたのですが、それでも重さに不安があったので山陽5000は実験的に内装などのポリゴンを削った軽量版も作って並行して配布していました。
結局よく使われるのは通常版だったので、この配布形態はこれっきりになりました。


コレクション形式で複数事業者のバスを1つのPIとして出すのもこの年のMP38が最初でした。
これで結構好評を頂いたので、その後シリーズ化しています。

2016年

103系に捧げた年

首都圏仕様の103系で相当時間を持ってかれたので、その他は単行モノがメインでした。
キハ11と54でステンレス車を同時期に2つ作っていますが、色味と表現を変えてそれぞれの特徴を出しています。

 

この時作った103系はおよそ4年ぶりのリメイクでした。(2012年→2016年)
4年でポリゴンの割り方もかなり変わり、Hゴムなどのポリゴンをテクスチャ表現に移してその分のポリゴンを他の大事な箇所(103系だと窓サッシなど)に回すようにしていました。

2017年

続・103系に捧げた年

関西仕様の103系と同じく201系が大変だったのと、学生最後の年でバタバタしてたものあって新作は少なめでした。


バスの方は西日本JRバスのエアロスターからテクスチャの描き方を刷新しています。
特に窓の表現を強化していて、実写から切り出した窓をぼかして重ねるようにしたり運転手を置いたりしていました。
この表現でより実感的になり、その後のバスPIの標準になっています。

2018・2019年

取れない時間

この年の春から社会人になり、自由に使える時間が一気に減りました。
就職してから2年の鉄道車両の完全新規は旧型客車と205系くらいで、明らかに製作ペースが落ちています。
時間が取れないと言いつつ自動車PIを初めて作ったのもこの頃でした。このジムニーは思い入れがあるクルマだったので完成しましたが、そのあと次に繋がったりはしていません。


この頃、建物をいかにローポリ・低解像度テクスチャで作るかを考え、試作したのがこの近郊住宅です。
120ポリと512pxのテクスチャという軽さながら、そこそこ見栄えの良いものが出来ました。これが基礎になって、2020年以降の街づくりセットに繋がっています。

2020・2021年

建物とバスの量産

この頃、施設系PIを公開されていた作者さんの引退で建物が徐々に少なくなって、殺風景なSSが増えていた頃でした。
クオリティの高い車両PIがどれだけ増えても背景となるストラクチャがないと寂しいので、緊急事態宣言で外出できなかった2020年のGWから建物の量産を始めました。

京成3500形は、当時新規公開された京成他形式に合わせてリニューアルしたもので、ステンレス表現の質感向上と内装の追加を行っています。
バスはLV290もRAもコレクション形式+自由に塗装できる白車体の組み合わせでリリースしており、多数の派生PIが生まれています。

何を血迷ったか突然YS-11を作っていますが、自動車と同じくこれも次には繋がっていません。難しい題材でしたが、結構お気に入りの作品です。

2022年

PBR時代の到来

k版にPBR機能が追加されたことで、今までに無かったヌメテカな表現が可能になりました。
だから…というわけではないのですが、PBRの映えるステンレスで窓の大きな車両を2つモデル化しました。

とは言えPBRに頼りすぎると純正版に置いた時にガッカリしそうなので、従来のテクスチャ表現はそのままに、PBRで表現を+αするような使い方にしています。
(←PBRあり PBRなし→)

山梨交通のキュービックはタイプ違いで8年ぶりのリメイク。
2014年→2022年でバスPIのビフォーアフターです。ポリ数もテクスチャの解像度もさほど大きく変えていないのですが、全体的に表現がシャープになっていると思います。

これからは

大きな方向性はこれからも変わらず、
・モデルは実車の特徴を捉えてポリ数をできるだけ抑える
・テクスチャの表現で質感を出す
そんなモデルを作っていきたいと思っています。
Photoshopでのテクスチャ作業の比重が年々上がっているので、今後の課題はいかにテクスチャ工数を圧縮して量産するか、ですかね。
あとここ2年くらい施設PIに時間を掛けてきたので、そろそろ車両の方に力を入れていきたいです。

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