2016年6月 確認
ジャンボフェリーで小豆島に入ってそのままトンボ帰りというのも勿体ない話なので、高松に上陸して四国の山間部へ。
土讃線の駅から山道を30分以上進んだところに置いてありました。山にへばりつくような悪路でしたが、途中そこそこ大きな規模の集落が点々としていたので、かつては路線があったのでしょう。廃バスが置いてあるくらいですし。
そんな山道の脇に眠っているのがこれ。一見すると中型かな?とも思えるボディサイズですが、歴とした大型車。
今では地方を中心に幅を利かせている中型車ですが、広く使われるようになるのは意外と最近で、このクルマが製造された昭和40年代はまだまだ中型車は一般的ではなかったようです。タイヤ径の小さい車両では悪路走破性に難があったのかもしれません。時代ですね。
というわけで山間部などフルサイズのリアエンジンバスが入れない路線はまだまだボンネットバスが頑張っていたわけですが、そういった路線に対応した箱型バスが出てきます。それがこのナローボディです。
型式はいすゞのおそらくBA05N。こういった変わった車両は純正川崎ボディが選択されることが多いようで、四国内で同じナローボディを所有していた徳島バスも川崎ボディですが、ここの車体は富士重工R13型です。
もともとR13のボディは結構上が窄まっているように感じますが、ナローボディだとより顕著に感じられます。まるで三角バス。
リアのエンブレム。随分錆びてますが上のライトケースから貰ってきてるんでしょう。
この時期のいすゞ車の特徴、リアの円形ルーバー。この年式になると純正川崎ボディだと円形にならないのですが、富士重ボディでは識別のためか円形ルーバーが継続採用されていたようです。
バス窓にレタリングされた四国交通の文字。この時代にはよく見られた表記方法のようです。
この世代のR13ボディは上昇窓とHゴムの窓の間に雨樋が通してあるので、四国交通の塗装とよくマッチしているように思います。
さすがにくたびれてますがまだ現役時の力強さをちょっと感じる部分を切り取ってみました。
最後。雲がキレイだったので空を入れて。
帰ってから四国交通のことについてちょっと調べていたのですが、このクルマの現役時代に関することは全くと言っていいほど出てきませんでした。
遅くまでBXDシリーズのボンネットバスが路線で頑張っていた会社なので、こういったナローの箱型バスは相当影が薄かったのかもしれません。
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