日立電鉄モハ11の廃車体

2017年5月確認
もうとっくに無くなっているものと思っていましたが、残っていました。

日立電鉄は2005年まで茨城県を走っていた私鉄路線。末期は営団2000形を改造した車両によって運行されていましたが、この廃車体の車両は2000形によって置き換えられる前の車両。
1948年の新製当初から日立電鉄線で活躍していた車両ですが、ルーツは営団にあると言われています。

原設計は営団地下鉄銀座線(浅草-新橋間)の前身である東京地下鉄道が戦前に登場させた形式である1200形。その増備車の車体が2両分日立製作所に発注されたのですが、戦時中それも戦況が悪化しつつあるタイミングだったからかこの増備車計画はお流れになり、宙に浮いた車体はそのままの状態で終戦を迎えました。
その後の戦後復興期でどこも車両不足に陥り、日立電鉄も延伸開業で車両が足りなくなって困っていたところで親会社の日立製作所がデッドストックの車体を電装して納入した…と言われています。

どこまで本当か分からない話ですが、この車両以外にも日立電鉄の車両不足を日立製作所の融通によって救ったという話は色々残っていますので、中らずとも遠からずなのでしょう。

物置と化してる今の状態を見ても、ホントにコレが営団?と疑問に思うほど精悍さに欠けるヘンテコなスタイルですが、これは現役50年の間に幾度も修繕が行われたことによるもので、前面窓がHゴム化された70年代以前の写真を見るとなるほど確かに銀座線かもと納得できるスタイルをしています。

そんなモハ11も銀座線01系投入によって同線を追われた2000形の導入によって90年代半ばには日立電鉄線から姿を消すことになります。銀座線の注文流れと言われている車両を置き換えたのもまた銀座線から来た車両…という興味深い置き換えになりました。
01系による2000形の置換から遡ること数年、01系の初期投入車によってモハ11のモデル車である1200形は姿を消していますので、直接的間接的の差はあれど、モハ11と営団1200形がどちらも01系によって姿を消したことに不思議な縁を感じてしまいます。

こうしてモハ11は営業線上から消えましたが、当時の日立電鉄(或いはその廃車車両の処分を請け負う解体業者)が車体を倉庫として多数売り払っていたようで、このモハ11に限らず日立電鉄の廃車体が茨城県内に点在しています。


なんとも言い表せないお顔。登場時はウィンドウヘッダーだけでなくウィンドウシルもあり、窓も枠が付いていて貫通扉もあったので彫りの深いところを徹底的に”削ぎ落とされた”印象。

反対側側面。側面もやはりほぼ更新されて登場時の面影は薄れていますが、戦後すぐの地方私鉄車両にしては随分垢抜けている印象を受けます。(そもそもその時期に新車を入れられた地方私鉄がどれだけあるのかという話ですが)

ちゃんとした保存車ではないですが、こうして戦中戦後の混乱を物語る車両をこの目で見れたのは幸運と言えるでしょう。

カテゴリー: 撮影日誌-廃車・草ヒロ タグ: , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)