広島電鉄の単車では最大勢力で、製造から60年程経った現在でも全車が現役。
今回はそんな1900形をちょっと紹介。
京都市電時代
まずは広電譲渡前、京都市電時代の話をさらっと。
ご存知の通りこの車両は京都市交通局から譲渡されたのですが、登場時は1900形ではなく900形という形式でした。
900形は間接制御車15両と直接制御車20両の全35両が製造され、京都市内で活躍することになります。
この頃はドアは前後に1つずつ、前照灯も中央に一灯というスタイルで、中扉で2灯の姿を見慣れてしまった今では随分と違和感があります。
その後市電ワンマン化の進展で900形を改造したワンマンカーを用意することになりました。そして登場したのが1900形です。
直接制御車の中から16両が選ばれ、扉の移設及び前照灯の2灯化、ワンマンカーの行灯の設置などが行われ、随分印象が変わりました。
増備車からの改造でかつ改造後は元番号+1000の車番を与えられたため、1915以前は欠番となっていましたが、これは後の広島電鉄への譲渡の際に1901からに揃えられています。
一方間接制御車とワンマン化から漏れた直接制御車は路線の縮小と共に扱いづらい存在となり、市電の全廃を待たずして車齢15年ほどで退役していくことになります。
こうしてワンマンカーとして生き残った1900形は市電全廃の日まで活躍することになります。
市電廃止後は事故廃車になった1両を除いて広島電鉄に譲渡されることになり、35年ほど経った今でも冷房改造を初めとする各種の改造を受けながら京都市電時代のイメージを残して現在でも活躍中というわけです。
広島電鉄移籍後
それでは広電移籍後の現在の姿について触れていきましょう。
まずは各々の型式写真。
(江波付近)
最も数の多い集中冷房、床下電源タイプ。千田・江波の両方に配置されているので市内全域で広く見ることのできるタイプです。
(広電本社前付近)
元バスクーラー搭載、集中冷房、屋根上電源タイプ。千田・江波の両方に1両ずつ配置されているので結構レアキャラ。
(広電本社前付近)
中期冷改の分散冷房タイプ。3両と少数派ではありますが、千田の集中配置ですので両数の割に意外とよく見かけます。
(小絹町~天満町)
千田所属の車両は主に3・5号線の運用に就いています。ラッシュ時を中心に1号線にも入るのでプラグインではこの3つの系統の幕を用意しています。
特に3号線は市内線完結ですがとても距離が長く変化に富んだ系統です。
(土橋付近)
江波に所属している車両は、横川駅に乗り入れる7・8号線、及び白島線の9号線で主に運用されています。
自社車両やグリーンムーバーなどの連接車両との共演も広島らしいところです。
(共に広電本社前付近)
広電には京都市電以外からの移籍車も数多く在籍していますので、上のように京都市電と大阪市電の並びもよく見られます。
新車の投入が進み他事業者から移籍した車の稼働率が悪くなってきていても、1900形は扱いやすいらしく日中でもかなりの数が運用に就いています。
(土橋付近)
広島電鉄では基本的に日中は前照灯を点けませんが、併用軌道上を走ることもあり、曇っていたりして暗くなった場合運転士の裁量で点けることがある気がします。
以上、簡単ですが広電1900形の紹介でした。プラグインを使用される際の参考にでもなればと思っています。
コメント